中日ドラゴンズの高橋宏斗投手は、2020年ドラフト会議で1位指名を受け、2023年には日本代表としてWBC優勝、2024年オフには年棒1億円を突破した若手エースです。
順調にプロとして成功を収めている高橋宏斗投手ですが、高校卒業後の進路を選択する際、慶應義塾大学環境情報学部のAO(アドミッションズ・オフィス)入試を受験し、合格したらプロ志望届けすら出さず、慶應大学へ進学すると明言していました。
結果的には不合格となり、高卒でプロ野球選手としての道を歩むこととなった高橋宏斗投手。
なぜ高橋宏斗投手は慶應大学を志望したのか、その理由や背景、そして不合格となった理由について調査、まとめていきます!
高橋宏斗投手の気になる彼女や結婚観についてはこちらの記事でまとめています。
高橋宏斗 慶應義塾大学を志望した理由
高橋宏斗投手が慶應義塾大学を志望した背景には、いくつかの理由があります。
1. 兄・高橋伶介さんの影響
高橋宏斗投手が慶應大学を志望した最大の理由が5歳上の兄・高橋伶介さんの影響だったと言われています。
伶介さんは、中学時代に所属した豊田シニアのエースとしてチームを全国制覇に導き、慶應義塾高校から慶應義塾大学に進学し、野球部に所属していました。
伶介さんが慶應義塾大学で学びながら野球を続ける姿は、弟の高橋宏斗投手にとって大きな影響を与えていたようです。
野球を始めたきっかけにもなった兄の伶介さんが通った道を追い、プレーしたいという思いが最大の志望動機の一つだったと言っても過言ではないでしょう。
2. 長期的なキャリアを考慮
プロ野球選手としてのキャリアは、元中日の山本昌さんのように50歳までプレーする方もいますが、必ずしも長く続けられるものではありません。
むしろ、ケガや体力の衰えなどで早期に引退する可能性もあります。
そのため、将来的な選択肢を広げるためにも、慶應義塾大学での学びを重視したいという考えがあったと言われています。
3. 家族の勧め
父・秀夫さんや母・尚美さんの影響も無視できません。
特に父親は、プロ野球の道に進むにせよ、まずは学業を続けてほしいという思いが強かったと言われています。
家族全体として、慶應義塾大学への進学を応援するムードがあったと考えられます。
慶應義塾大学のAO入試を受験した経緯
高橋宏斗投手は、中京大中京高校3年生の時に慶應義塾大学環境情報学部のAO入試に挑戦しました。
AO入試は学力試験だけでなく、エッセイや面接を通じて、学部の理念や求める人物像に合致しているかどうかが評価される入試制度です。
慶應大学環境情報学部のAO入試の募集要項には
AO 入試は一定の条件を満たしていれば自らの意思で自由に出願できる公募制入試です。入試内容の特色は筆記試験や技能試験などの試験結果による一面的,画一的な能力評価ではなく,中学校卒業後から出願に至るまでの全期間にわたって獲得した学業ならびに学業以外の諸成果を,筆記試験によらず書類選考と面接によって多面的,総合的に評価し入学者を選考するものです。
募集定員の限りもあり,選考という形式をとらざるを得ませんが,アドミッションズ・オフィスは入学志望者と大学が互いに望ましい「マッチング」を創り出すための出会いとコミュニケーションの場です。
とされています。
慶應義塾大学環境情報学部は、幅広い学問分野を学べることが特徴であり、高橋宏斗投手もその点に興味を持っていたと言われています。
また、野球部に所属しながらも学業を充実させたいという希望にマッチしていたため、AO入試を選択したそうです。
不合格になった理由
慶應義塾大学のAO入試で不合格となった理由は、公式には明かされていませんが、以下のような要因が考えられます。
1. エッセイや面接での準備不足
AO入試は、書類や面接で受験生の意欲や将来の目標、学部との適性が問われます。
高橋宏斗投手は野球部の活動が多忙であり、十分な準備時間を確保するのが難しかったと推測されます。
その結果、アピールが十分でなかった可能性があります。
2. 厳しい競争率
慶應義塾大学環境情報学部のAO入試は、全国から多くの受験生が挑戦する非常に競争率の高い入試です。
2023年の倍率は5.0倍、2024年の倍率は4.3倍でした。
スポーツの実績がある受験生も多く、高橋宏斗投手のように野球での抜群の実績があっても、それだけでは合格に直結しない厳しい選考が行われます。
3. 大学側との方向性の違い
大学が求める人物像や将来像と、高橋投手の志望動機が完全に一致していなかった可能性もあります。
慶應義塾大学環境情報学部では、学問や研究への強い意欲が求められるため、野球選手としての活動が中心に据えられていた場合、それが評価を下げることになった可能性が考えられます。
プロ野球入りを決断した理由
慶應義塾大学のAO入試に不合格となった後、高橋宏斗投手はプロ野球入りを決断しました。その背景には、以下のような理由がありました。
1. 中日ドラゴンズからの強い期待
2020年ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受けた高橋宏斗投手。
地元球団である中日は高校3年生での1年間、公式戦28勝無敗で終える前から徹底マークをしてきていたようです。
高橋宏斗投手がプロ志願届を出す前の中日は、同じく愛知県出身の栗林良吏投手(弥富(現:愛知黎明)高校→名城大学→トヨタ自動車)を1位指名で決まっていたそうですが、急きょ変更して高橋宏斗投手を1位指名する対応を見せています。
2. 野球選手としての最短ルートとしての選択
大学に進学する場合、プロ入りは4年後になります。
しかし、もともとプロ野球選手になることが夢だったと語る高橋宏斗投手にとって、ドラフト会議でしまいがかかった時点で、プロとして勝負する最適なタイミングが訪れたと判断したのでしょう。
高橋宏斗投手の今後
高橋宏斗投手は中京大中京高校3年生で28戦無敗を記録し、プロ注目の選手となりました。
慶應大学への進学を目指し、AO入試を受験するも不合格。
結果的にプロ野球入りを選ぶことになりました。
慶應義塾大学への進学は叶いませんでしたが、2024年オフに年俸1億2000万円という飛躍を遂げるまでに成長し、高卒後すぐプロ入りの選択が間違いではなかったことを証明していますよね。
今後も高橋宏斗投手がプロ野球界をリードする存在になることを楽しみにしたいですね!
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